2012年8月4日土曜日

体験者自らが行う『町ナビ』

オリエンテーション
今日の午前中は、個別訪問とオリエンテーションを行いました。
昨夕鹿児島から来てくださった、『まゆみさんと娘さんのはぁちゃん(高1)』。被災地を訪れるのは初めてです。
くりこま高原駅から南三陸に向かってくる道中の車窓は、穏やかな街並みから、ガレキに一変した景色を観て「心が重くなった」と仰っていました。
結城さんおかえりなさい!(左)

活動初日。Come&Seeを始める前に、ここに暮らす人々や、ここの町と触れ合うための心の準備をしていただきました。

一方、個別訪問では、「治療だけのつもりが10日も入院してきたよ。また、直ぐに入院をしなくてはいけないようだ・・」と伝えて下さいました。身体的にしんどいこともあり、訪問時は険しい表情をされておられましたが、話しをしているうちに、表情が和らいでいかれます。語らいのひと時が、心身の苦痛による緊張感から、僅かであっても解放されていく不思議さを味わいます。

午後からは『旭ヶ丘団地』で行われた夕涼み会に参加させていただきました。
津波の被害を逃れたこちらの地区では、新興住宅地ということもあり、以前は地区内での交わりが希薄だったと仰います。震災時、地区の住人の皆様が一丸となって、人々を支え、協力しあったことで、地区の中に新たな絆も育まれたそうです。盛大な祭りの様子は、そこに集う人々の喜びで溢れていました。

『町ナビ』は、えみちゃんが担って下さいました。
本来であれば、町の中を巡るのも憂鬱なことでした。まして、当日、避難を呼びかけるスピーカーからの声を直接聞き、途切れた瞬間も記憶に刻まれています。ビルが津波にのみ込まれていくのも見ています・・。
そうしたただ中に、車を停め、降り立つことは初めてだったそうです。えみちゃんの記憶にあの日が鮮明に蘇ってきたことでしょう。辛かったと思います。でも、「自分たちが住むこの町に、関心を寄せて下さっている!この町で人々が負った痛みを知ってほしい。自分たちのことを忘れないでほしい」。そうした思いで、踏ん張って下さいました。えみちゃんの尊い行為に、心より有難うございます。

そして、体験者自らが行う町ナビの、内面的なしんどさに「私たちのためにとは云え、辛いだろうに・・」「案内してくださる姿に、感謝をしつつも悲しくなった」と、破壊された建物の前にたたずむえみちゃんに、心を寄せ共にいて下さったお二人に感謝いたします。


午後の個別ケアでは、役場の仕事を引き受け、人々の元を訪問する働きを担っていた方は、相手の話を聴き続けているうちに「最後には言葉が出なくなってしまって・・」退職されました。相手の心の叫びを聴くことは「誰にでも出来ることと思っていたけど、専門家でなきゃ無理なことだとわかりました」と、辛かった胸の内を話されました。生きてきた歴史の中に刻まれた痛みや苦しみ、その上に起こった震災。すでに、ご自身の心が悲鳴を上げていることに気付いていませんでした。
先日のカフェに来られなかった理由は、誰にも会いたくない、一人になりたいという思いでした。「自分のことだから・・。楽になるのも辛いのも自分次第だから・・」と、渡してあった名刺の電話番号にダイヤルすることを、何度も躊躇していたそうです。
話し終わった後には、「楽になりました。辛くなったら、直ぐに連絡しなければならないとわかりました」と、笑顔がこぼれていました。

私たちは、努力することを教えられていても、自分に優しく、自分をいたわる方法は、誰からも教わっていません。他者との関わりは、自分自身から出発します。自分の状態が他者との関係に影響を与えます。人に笑顔を向けられるように、思いやる言葉を掛けられるように、まずは自分自身をHUGすることから始めなければならないことを痛感します。
(記:マドフォ)

0 件のコメント:

コメントを投稿