2012年8月3日金曜日

内面に蓄積される痛み

今日の午前中は『廻舘仮設』でのケアカフェOpenでした。
仕事をしておられる方も多いこちらの仮設では、集まる方も少人数でしたが、その分マンツーマンでじっくりとお話をすることができる利点がありました。

近頃、カフェを通して聴かせていただく内容に変化を感じます。
震災時や震災後の壮絶な体験から、仮設などへの移行後、ホッとした時に押し寄せてくる思いは違ってきています。

現在、仮設での生活が不便ながらも、これが日常となってきているものの、先の見えない不安感や、狭い室内で家族との関係性に様々なストレスが表出してきています。

この土地に暮らす方々の家は、敷地も広く大きかったであろうことは、建物はなくなっても残った土台を見れば一目瞭然です。一人になれる場所も、リフレッシュする余裕も家の中にはあったことでしょう・・。しかし・・仮設ではホッとできる場所がなく、町自体が無くなっていることで外にも、その場所はありません。慣れない窮屈な日常を過ごさざる得ない人にとっては、内面に蓄積される痛みのようでもあります。
お一人お一人が「話したいことをじっくり話せる」「聴いてもらいたい事柄を聴いていてくれる人がいる」。たったこれだけのことでありながら、その方にとって今日を生きる力を得ることができるかけがえのないひと時なのです。

午後からは、『平成の森』と『志津川中学校』仮設への訪問を行いました。

日中は、いつも一人で過ごしておられるという方は、脚に腫れや痛みがあることから、転倒することを家族から心配されて、家の中だけで過ごされています。TVを観たり、外を眺めたり・・そうして過ごすことが一日の唯一の日課です。帰りには「今日はいい日・・。必ずまた来てね」と喜びを表されていました。スタッフの訪問は、喜びをもたらす魔法のようです。

ベンチに座るお二人と話していると次々に人が集まり、被災して追われた地元は、今どうなっているのか?と気になっています。地元スタッフが住んでいる仮設は、そこに集う方と関係のある場所でした。大いに盛り上がり、知っている人の名前が上がり続け、スタッフとその方は遠戚にあたることがわかりました。こうしたことは、南三陸では驚くほどよくあることです。

ある方は、家と一緒に数年前に亡くなった夫の位牌や遺影も流されてしまいました。手元に写真は一枚もありませんでしたが、かろうじて親戚の方が撮られていた夫婦がそろって写っている写真をご主人だけを引き伸ばし、仮設にこしらえた仏壇におかれていました。たった一枚の写真と、記憶の中に生き続ける在りし日の姿とともに過されていらっしゃいます。

時とともに、現れてくる痛みの奥深さを配慮しながら、寄り添いともに歩むことが、今後更に求めれられてくるのだと思います。
(記:マドフォ)

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