2013年7月31日水曜日

自由である事の大切さを考える

 「もう、だんだん億劫になってきてしまった・・、なんだか家から外に出ていく気力もわかない」

こう話していたのは、仮設住宅で暮らす女性です。これまでは、元気で振る舞い周りの方々とも積極的に関わりを持てていた方でした。それが、今日出会うと上記のように話をするほど変わっていました。理由を伺うと、「自分で出かけたい時に出られないし、出かけるときには誰かにお願いしないと出ていけない・・・そんなんじゃ、だんだん嫌になってくるの・・だから、もう家にいては動けなくなってしまうんだよ」との事でした。

 高台に立っている仮設住宅から出かけるにも自由が効かない、自分がしたいときに出来ない・・この不自由さが、徐々に気力を奪っていくのだと改めて教えられます。「自由である事」が、如何に人として生きる上で大切なことなのか・・・。


 今日の活動は、志津川地区の仮設住宅でのケアカフェ心香の開催と個別訪問でした。

 ケアカフェ心香を開催した仮設住宅では、二ヶ月に一度のカフェを心待ちにしている方と反対に、「もうカフェには行かないくともいいよ」と両方の思いを持った方に出会えたのが印象的でした。

デリバリーの珈琲を持って
もう行かなくてもいいよと話していた方には、仮設住宅の側にある畑で出会った方でした。何度のカフェに来て話を聴いてもらっていた方ですが、今日は「大分話を聴いてもらって心が楽になった・・・今は、人を楽しませる事が嬉しくて、こうして畑仕事をしている。もうカフェに行って話を聴いてもらわなくてもいいくらいになった」と話してくれました。自分なりに、被災で亡くした家族との別れ・その後に生き延びた自分の命の意味を探せるまでになったんだと嬉しそうに話す姿に、心の回復の歩みを見せていただけたように感じました。一方、心待ちにしていた方は、「こうして話を聴いてもらえる機会がないんだよね」とこぼしていました。

 心の回復への歩みに個人差があり、その歩調を尊重しなければいけないことを意識させられます。

 
流された家の柱
個別訪問を行ったスタッフは、ある家庭を訪問すると、隣人関係で苦しんでいる方を訪問し、その話をしっかりと聴いてきました。隣人の態度が嫌で関わり合いたくないのに仮設住宅のとなりだけに、簡単に関係も切れない中で苦しんでいる思いをしっかりと受け止めてきたようです。そんなに苦しんだったら、離れたらいいのに・・・と考えてしまいがちですが、そうもいかない地域との繋がりを意識するのがこの地域の特徴のひとつのようです。地域の慣習から、「自由になれない」苦しさ・・・がここにも有る様です。

 別のスタッフが出かけたのは、震災で父親を流されこの度高校を卒業した子に会うためでした。学校の成績もよく部活動も積極的で、祖父母の面倒をよく見る本当に立派な子です。残念ながら留守で出会う事はできませんでしたが、祖父母に出会いました。父親の死の後も、自分たち祖父母の面倒をしっかりと見てくれる孫を宝物のように思っている話を聴かせていただき、更に立派な子だという印象を受けて帰ってきました。
 でも、あまりにも立派に振舞う姿に、その子の悲しみ・苦しみが押し込められていないか心配にもなりました、「自由に自分の思いを自分で味わい」ふに落とせているのかなと。不自由でなければいいなと、本当に切に願いたいと思いました。

 「自由であること」・・・この大切さを考えさせられる一日でした。(記:宇根)




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