2013年6月10日月曜日

「聴く力」が持つ尊さに触れる

「忘れたと思っていたのに、一人で仮設住宅に居るとすぐに思い出してくる・・・思い出すのは震災の時の辛い思い。あの辛い思いがすぐにでも出てきてしまって、辛い。・・・忘れる日が来るのは自分の家を建てるときかもしれない」
と話してくれたのは、何時も周りに笑いを提供し、周りを和ませてくれているNさんでした。

 Nさんのおかげで何時も楽しい思いをさせてもらっている・・・と周りの仮設住宅の住人の方々は話していました。そんなNさんが涙を浮かべながら、「忘れたいのに、忘れない震災の経験」の辛さを語ってくれました。何時も笑っているNさんの目には涙が一杯でした。
 何度も何度も辛い経験を語り、聴いてもらうことで少しずつNさんの辛さ・怖さが薄らいでいける事を願いたいと思いました。
 「未だまだ話し足りないくらいよ、弁当作って話してもいいくらい」と話すNさんに又会いに行きたいです。

 
 今日は、仮設訪問と併せて町内の老人施設の訪問の日でもありました。
 訪問すると、仮設住宅で出会ったことのある方に出会ったり知人に出会ったりと多くの出会いに恵まれました。

 その出会いの中でも、自分の思いを語れた後に、「もうこれで私の役目は終わった、これでもう逝ける」と分かち合う方が居られました。語る事で自分の心の奥にしまい込んでいたものを出せるということ。分かち合えることで、思いを託せて役目は終えれると感じれる程の経験ができる・・・という事を学ばせてもらえたように思います。「聴く」という事がもつ尊い力の奥深さを感じました。

 午後の訪問では、津波で流された家族への「こころのこり」が強く残っている方の悲しみに触れました。毎月、花を手向けていたということですが、突然の大きな喪失・別れに悲しみが癒えていくための時間はどれほど??  そのような思いを持ちました。

明日、ここ被災地は月命日を迎えます。(記:宇根)

 



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