2013年3月7日木曜日

喪失から来る怒りに向き合って生きる

「震災の日を体が覚えている感じがする・・・、この頃の臭いや日差しや空気が、あの時のものに近づいてきている感じがして、体が覚えているんだと気付いた」

 こう分かち合ってくれたのは、今日の地元スタッフでした。仮設住宅から出て、朝一番の空気に触れて感じる気持ちだそうです。このスタッフの感じ方を聞いていると、震災の記憶は頭や心だけでなく体にも刻みつけられているんだ、と分かります。記憶や心を癒すだけでなく、反応してくる体をもいたわり休ませて上げる・・そういう工夫も必要なんでしょう。


  大切な家族を突然に失う・・・この悲しみは残された家族に様々な思いを抱かせます。その内の一つが、怒りです。今回の津波によって大切な家族を失った方には、怒りの矛先を家族に向けてしまうこともあります。

 今日は、その怒りを一人受け止めながら生きようとしている女性に出会いました。
 その女性が聞かせてくれましたことによると、津波で流されたお嫁さんの子供、自分からすると孫ですが、その孫から「お前が殺した!」と責められるそうです・・・、あの時には自分は一緒に居なかったのに、と。その女性は、孫が自分に向けて投げつけた言葉を涙ながらに紹介しながらも、こう付け加えました「多分、そういう言葉を口にしたくなるくらいの気持ちなんだろうね・・・、そうなるよね。こうして私が元気だからだろうね、だからそう言わしているさ・・。私のほうが変わってあげたかったくらいだけど、そうもいかないのはよくわかるけどさ・・・」と。

 母親が流されてしまった悲しみと怒りを自分に向ける孫、そのい痛いほどの悲しみと怒りが分かるだけに、何も言わずに受け止める女性。話を聴きながら、怒りをちゃんと受け止める祖母の存在は、孫が悲しの現実を受け止めいつの日か怒りが整理されていく機会の大事な要因になるのだと思いました。何年たとうが、その孫の思いを受け止めつつ生きていこうとする姿は、グリーフワークの大事な要素なんだろうと教えてもらえた感じです。
 どうか、お孫さんの怒りが変化していくまで、この女性がしっかりと受け止め切れる力を持ち続けられますように・・・。「毎日、仏壇に向かって線香をあげているのさ」と教えてもらえたので、私も一緒に、手を合わさせてもらいました。


 今日の活動は、午前午後とも個別訪問でした。地元スタッフは南方・佐沼方面の仮設や自宅再建した方々を訪問してきました。自宅を再建したある方は、住所移動をしたために「何も情報も流れてもなくなり、自分はもう南三陸町民でなくなってしまった・・・、寂しい。やっぱり南三陸町が一番だった・・」 とこぼしていたそうです。家の再建はよかったものの、故郷を離れて傷んでいる心の立て直しには、時間も人の関わりも必要なんだろうと実感します。幸いに、その方の夫が「これからは、一緒に旅行にでも行こう」って誘ってくれているとか・・・。夫婦でこの苦しい時間を支え合えるのは、大きな支えでしょう。

 自宅にあった干支の置物(写真右)のように、長くゆっくりと心を縦なしていける支え合いが続きますように願います(記:宇根)


0 件のコメント:

コメントを投稿