2013年3月4日月曜日

出会いの不思議さを感じる心

出会いは不思議なものです。
 
 今日、個別訪問に出かけた地元スタッフは、仮設住宅で出会った男性と話している内に、その男性が父親の命の恩人だった事を知りました。漁に出て海の落ちた父親を助けた人だったのです。男性は、名乗らなくてもいいからと言いつつ、小さい頃に合っていた子供(地元スタッフ)が成長し、偶然に合えた事に喜ばれていたようです。出会いがあった地元スタッフは、「こういう嬉しい出会いがあるなんて・・」と不思議がっていました。
 時として、出会いは私たちの人知を超えた不思議さを感じさせます。それを偶然と片付けてしまわずに、「不思議」と感じる心を持てるほどの豊かさは、痛む命に寄り添う人には欠かせないものかもしれません・・・そのような豊かな心に、人間の限界を超えたところに頼れる力が生まれるように思うからです。


「私は、チリ津波の時には、父親から『とにかく津波が来たら逃げろ』って教わっていた・・・でもね、私は私の娘には、同じようには教えていなかったの・・・娘は流されてしまって。それが後悔として、私には残っているの・・・。でもね、娘は優しい子だったから、婿さんの両親がいたから、一緒に何か片付けでもやっていたんだろうなぁー、逃げなかったんだろうなって思う。」今日、このように話してくださったMさんは娘家族と嫁ぎ先の両親の5人を津波で流されていました。今も仏壇に飾っている遺影の写真を見るたびに泣いています。

 Mさんからは、自分が娘さんにしてあげることがあったのに、それが出来なかった事を後悔しているという表現が何度も出てきてました。逃げるんだよ!と教えてあげれなかった・・・他にも、あれもしてあげれたのに、これもしてあげれたのに・・・と自分を責めるような表現が出てきていました。娘さんが流されてしまったのは、決してMさんの責任ではないとは分かりはするものの、別れの悲しみが自分を責めてしまう程に深く重いのだと感じます。娘さんの死に理由を付けきれないと、その死さえ受け止めきれない・・・そんな心の動きにもなっているのでしょうか。
 今、2年目を迎えようとしている中で、一人ひとりの心の様相が違ってきています。今もまだ震災の傷が癒えずに生きている方々がいる事を多くの方々が忘れずに知っていて欲しいです。大切な家族と別れる・・・この悲しみが癒えていくための時間は長いものです。

今日の活動は、住宅が残った地域でのカフェと個別訪問。午後からは仮設住宅への訪問活動を行いました。(記:宇根)






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