2013年3月19日火曜日

家族間で味わう孤独に苦しむ

  家族や周囲の方々から離れてしまう、或いは周辺の住人が別の場所に移動してしまい、一人ぼっちを感じている・・・という思いを多く聞きます。昨日のブログでも「孤独の辛さ」を紹介しました。

 ところが、孤独には周りに人や関係があっても、その人たちからのけ者にされていたり、必要ない人のように扱われたり、うまく利用されているだけであったり、居ないかのように扱われたり・・・とされることで、一人ぼっちを感じてしまう孤独があります。

 今日、仮設住宅で出会った高齢の男性の訴えは、まさに家族と暮らしているのも関わらず感じる「孤独感」でした。自分の事を正しく評価しない家族、自分の事を大事にしてくれない家族、自分の事をただただ利用しているようにしか感じない家族・・・、男性にとって一緒に暮らしている家族は、家族と言えるような存在ではないようです。周りから人が居なくなる孤独感とは違い、その辛さはひとしお なのかもしれません。
 最近は、こういうケースで家族関係で苦しんでいる高齢の方々の叫びをよく聞きます。被災経験とは違いますが、家族関係の課題からくる命の叫び、痛む命の叫びだと感じます。個人のケアだけではなく、家族ケアの必要性を痛感しますが、家族単位での出会いの難しさが困難さに拍車をかけていると思います。私たちが耳にするこの叫びが、氷山の一角でないことを願いつつ関われる関係の中で出来る事を探していきたいものです。

 今日は、活動の合間を見て、「通信」の発送作業をスタッフで手分けして行いました(写真左) 今年度の最後の通信です。多くの方々に支えられて活動を続けてこれた事を改めて感謝です、多くの方々の元へ届くこの通信を通して、被災地の現状や活動の状況が伝わっていけることを願います。


 今日の活動は、午前中は志津川周辺の仮設住宅2つを手分けして、個別訪問を行いました。上記の男性の出会いも、今日の訪問先での出会いです。
 他にも「心のケアは笑うこと、笑って明るくなることが心のケア」と話される方との出会いは、地元スタッフに疑問を投げかけてきました。「心のケアは、笑うだけ??」と・・・。

 情緒的な領域だけではない、心や魂の領域でも生きている私たち人間にとって、その部分で痛み叫びを発する時には、心、魂の領域でのケアが必要であることが、広く知れ渡って行かないといけないのだろう、と痛感します。
 明日は、彼岸の中日、多くの方々が墓参り等があるようです、また震災を思い出す日が来ます・・・。(記:宇根)
 

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