訪れるスタッフに「雪でたいへんだったでしょう。」と震災当時の天気を思い、気遣って声を掛けます。時間は止まったまま。家族とも事情があって会えません。事情をよく理解していないHさんはただひたずら家族の迎えを待つだけです。
分からない日々を祈りで紡ぎます。
毎日毎日、「神さま、ありがとうございました。」「今日もありがとうございました。」と。
訪問に出かけた地元スタッフがレポートしてくれました。
「今日は、となりの登米市にある老人福祉施設におられるお婆さんに会いに行きました。周りにいる方々はとても親切に優しく接してもらいありがたい。でも、胸に手を当てて
ここが苦しくなるくらい切なくなると『家に帰りたい、帰りたい』と訴えます。
何ともいえず、ただ頷くしかなかった。
寂しいね。
毎月訪ねては、手を合わせて『ありがとう』と拝んでくれます。寄り添い続けることに精一杯の心が伝われば嬉しいです。」(記:えみちゃん)
訪ねていくと必ず「忘れないように」と、訪問者の名前をノートに書き留め、一言メッセージを添えて下さいます。
この訪問がHさんにとって、どれほど嬉しいかを感じれば感じるほど、スタッフは切なくなります。
また、住宅再建をされた方を訪問した地元スタッフは、訪問先の亡くなられた家族が、スッタフの子どもの同級生であることが分かり、心打たれます。二年経ってやっと話すことができるようになったその思いを受け止め、共に涙します。「○○ちゃんのことをいっぱい語ってね。」ここに確かに生きてきたあかしを語りながら確認し、うなずいていきます。
その地区のほとんどが流され、自宅だけが残ったTさんにとって、震災後この世の不思議を特に感じています。なぜ私の家を残していただいたのか。裏山に祭ってある神さまに感謝を捧げます。小学校卒業からずっと肉体労働で働いてきたTさんには、これがご褒美のようにも感じます。しかし、孤立した場所にはもうお茶を飲みに来てくれる仲間はいません。80歳を過ぎの彼女は目を細め、山合いに見える海を眺めます。
市民プラザに HUGハウス通信を置かせてもらいました。 |
出会った方々との訪問を重ねる度に重みが増してきます。
時にシビアな現実、時に希望のひと時を共に感じながら訪問を続けていきます。
HUGさんによる個別面談、るみちゃんの市民プラザへの情報提供も続きます。
(記:林)
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