2013年9月27日金曜日

魂の耳で聴く


気温がぐっと下がり、秋の気候になりました。

パソコンに納めた画像を見せながら
朝は高野山講演帰りのHUGさん・宇根さんとのお帰りHUGから始まりました。


高野山の写真集を見て
イメージを湧かせます。
ミーティングでは、高野山での体験・講演内容が分ち合われました。スタッフは写真を鑑賞しながら、話を聞いていました。講師としての待遇は、一級品。豪華で整えられた宿坊や国宝級の建物見学の体験を興奮気味に分ち合われるお二人。最後に、様々な宗教・宗派の慰霊塔、また戦争の敵味方の慰霊塔が隣り合わせに建てられている意味が分ち合われ、全てを受け入れる高野山の懐の深さ、大きさに感動して聞き入っていました。
今日のHUGハウス活動の帰りには、高野山からのお土産をいただきました。上品で由緒正しいお菓子を頬張りました。ごちそうさまでした!


 

参加者のお手製お料理も並ぶ。
さて、本日は見なし仮設の定例カフェです。10名の方が参加され、スタッフ5人と共に時間を過ごさせていただきました。スタッフは、それぞれ分かれて耳を傾け、様々な思いを受け取ります。

ある方にとっては、看取りによる一つの区切りと介護の達成感、別の方にとっては怒り、またある方は、震災による後悔や迷い、自責の念、そして現在抱えている祖母としての思いや忍耐を話してくださいました。

「人生は色々あって踏ん張れるけど、『まさか』はね…」


人生には苦労が付きもの。苦労はある程度耐えることができますが、思いもよらない災害や事故、人間の力では回避できないようなどうしようもない事柄「まさか」は、突然の事。準備もできない、見通しも立たない「まさか」は、「一番きつい」(参加者コメント)と語られます。「まさか」の体験が今でも生々しく心に残り、今や会うことのできない家族のあの表情、あの言葉が今でも目に浮かびます。

一方で、自分の力ではどうすることもできない災害で助かった命を「さずかりいのち」と語られる方がありました。感謝の心とは裏腹に、必死に命をつないだが、はて、これからどう生きるか・・・・忍耐と模索は続きます。


お話しが深まる中、HUGさんによる、ワンポイント・ミニ学習会が行われました。


ミニ学習会の様子。
 会ではまず、このカフェの目的が「心のケア」であること、だから参加された方のお話をスタッフは「丁寧にお聴きしたい」ことが確認されました。
 続いて、5枚の紙に五つの次元の耳が示されました。
5つ目の耳は、魂の耳です。いのちの痛みがあるならば、それは魂の耳でしか聞こえてきません。誰しも体験するであろう「いのちの痛み」を分かち合える人、場所は、誰でも必要です。家庭においても互いに魂の耳で聴き合えると良いですが、互いの距離が近すぎて返って分ち合えない時があるでしょう。そんな時、信頼して深いレベルの話ができる友達や外部の人がいると生きる上で、大きな支えになるでしょう。



 
 参加者の皆さんの中には、信頼して話せる友がいるという方もいらっしゃいました。しかし大半の方は「分かっているけど、なかなか自分の気持ちは言えない。」「寝ても覚めてもそのことを考えるから言うということがあるが、なかなか言えない。」という意見にうなずかれていました。
 長い人生を経験していらっしゃる方々にとっては、心や魂の叫びは感じていても、なかなか家族や適当な人に言えないというのが現実のようです。

 「だから、このようなミニ学習をみんなに聞かせ、意識を共有したい」とコメントされる参加者もありました。
 
 

 少なくとも今日この学習会を聴かれた方々が、家庭や周りの方々との間で、ハートとハートの会話ができるようになると良いなと願うばかりです。自分の正直な気持ちを話す事も、聴く事も恐れずに、またマナーをもって。
 
午後からは、HUGハウス通信の作成や、移動カフェの準備が行われました。



(上)すみちゃん・けいちゃん、発送前作業。
(中)HUGさん・おしょうさん、通信や事務仕事。
(下)ゆうちゃん・本日記者、移動カフェ用旗作り。

地元スタッフようちゃん・るみちゃんの今日の訪問は、魂の痛みの共有という苦しいものだったのかもしれません。午前中の某老人施設訪問では、これまで何度となく訪問させていただいたHさんの様子がいつもと違います。はっきりとした口調で辛辣な心の痛みを繰り返し、繰り返し訴えられるのです。

「さびしくなると、夜いっぱい涙を流して泣くの。」

これまで聞いた事のないお話しに、スタッフは戸惑います。

手を握りしめ、「あんた温かい手だね~。」スタッフが返ろうとする手を離しません。



スタッフも心が痛みます。
 この方にこんな想いをさせる原因をはっきり知る術がないスタッフは、居たたまれない気持ちでいっぱいでした。
 90歳を超えて、なお人生の苦しみを味わわなければならないのでしょうか。この苦しみには、何か意味があるのでしょうか。苦しさを共有したまま、そこを後にしました。

 午後からの訪問も、苦しみを伴います。
 震災後に入った仮設環境は過酷を極め、行き場のない家族の心に亀裂をもたらしたのです。新居を構えた今でも一緒に暮らせない… 「あんなによくしてあげたのに」

震災自体より、家族が離ればなれになった事にショックで落胆する祖父母。時は流れ、スタッフにはカラッと話をされますが、悶々とした思いは解決されていません。
時しかお互いを癒せないのでしょうか。スタッフも少なからずショックを感じ黙り込みます。帰りのミーティングに戻る二人の重い足取り。
 

 魂の耳で聞くというのは、全身活動であることを実感します。心を使うこと、魂に触れることは、想像以上にエネルギーを放出するのです。弱さと限界のある人間同士の関係。
 
 最後にはやはり、祈りしかないのでしょう。(記:林)






 





 

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