2013年9月10日火曜日

種々の痛み・叫びに触れる

今日の午前中の活動は、志津川地区内にある老人施設への定期訪問でした。

訪問に向かうスタッフ
この施設では、私達HUGハウスの訪問にとても好意的です。
職員の方がたの配慮はその丁寧さには本当に頭が下がりますし、施設での暮らしている方や通っている方々との良き出会いを作れるのもひとえに施設側の理解と協力なしにはできません。本当に感謝しています。

 今日の施設へはスタッフ3人で訪問しました。
心打たれる出会いや不思議な出会い、心痛い出会いもあり、この訪問は大きな学びになると同時に内的な力も多く消費もするような大変さがあります。
訪問を終えてホッと・・
あるスタッフは、毎回同じ内容を話している女性に会いに行くと、今日は全く違った話を分かち合ってくださいました。ご自分が結婚を考えていた男性と文通を通して交流を温めていく内に、その男性が戦地に赴くこととなり、しまいには帰らぬ人になってしまったこと・・・、彼女は話しながら、「本当に悲しかった・・・」と涙をこぼしていました。地元スタッフが、悲しい思いを思い出せてしまったでしょうか?と質問すると、「そんな事はないよ・・誰もいないと誰にもこんな話は出来ないし、泣けると少しは楽になれるから」と。
 スタッフは思いました、何時もは同じ話を何度も繰り返すだけの方が、今日は初めて若かりし頃の思いを教えてくれた・・・、きっと今日はご自分の人生を自分で意識出来る日になったのではないだろうか・・・と。例え認知症でも、歩んできた人生がありそれは誰のもでもない私の人生なんだ、そういう経験を今も味わえるの尊いのではないでしょうか。

多くの千羽鶴
あるスタッフは、脳梗塞を患った女性の話を聴いていました。その方は、ご主人の介護をし兄弟の面倒を見てきた後、最近になって脳梗塞になってしまっていました。彼女は泣きながら言いました、「悔しい・・・こんなことになって本当に悔しい・・・、叫びたいくらい悔しいの」と。スタッフは泣きながら訴える彼女のそばで一緒に泣いてきたそうです。叫び出したいほどの悔しさ、不条理、不安・・・、どんなにか胸の内は溜まっていたことでしょう。叫びたいほどの悔しさにいっぱいだった心に少しの隙間がうまれたのではないでしょうか。


人として生き人として今、年を重ねてきた方々。その人生の経験、その人生の苦悩と光・・・、施設訪問は本当に私たちに人として生きるとは?という課題を教えてくれる場所です。(記:宇根)



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