2012年12月17日月曜日

街という家族をうしなう悲嘆

 今日は、地元スタッフは全員お休み。堤は、ケアの継続のため神戸に出張中。
 
今日の活動は、志津川地区内の仮設住宅を訪問。これまでケアカフェを行っていた仮設ですが、日常的にも住民同士の集まりを集会室にて行っているようなので、今月は新しいう試みとしてカフェを開くのではなく、通常集まっている住民どうしの集まりに参加しながら、個別に訪問して回る予定にしていました。ただ、スタッフの事情で活動に参加するのが一人であったために、訪問できず範囲は限られていましたが・・。

  仮設の集会所に行くと、朝の体操を終えた住民が5人と支援連絡員さんたちがお茶会(上左)を開いており、早速「あがらいん」(はいっていらっしゃい)「私たちの不平不満を聞いてください」と勧められて1時間近く同席させてもらい、いろいろな訴えや不満や、そして過去の思いを話しておられるのを聴かせてもらいました。
 そんな中でも、過去の志津川町の話になると皆、生き生きしていました。近くの復興商店街にかつての志津川の町の写真(左)があり、この写真をみながら、自分の家を探しているとのことです・・。大事な思いのある街が、「このまま残らないのではないのではないか、残る街には人が住める街になるのだろうか??」という不安が強いだけに、暮らしていた町の形を何とか大事にして抱いていたい強い気持ちだと感じました。
 
 
この街では、多くの方々が津波の被害で亡くなりました。多くの方々が家族を失った喪失感に悲しみを覚えています。でも、街全体を失ってしまうのも大きな喪失感であることを教えられます。南三陸町という街、そこに含まれるこれまでのご自身の生活や暮らし、夢、苦悩・・・様々なものを含めて「大切な」ものが失われるた悲しみからの開放が訪れますように、このちで一緒に過ごしていけたらと感じました。(記:宇根)



0 件のコメント:

コメントを投稿