2013年3月12日火曜日

子供たちの震災2年目

 震災2年目を迎えた昨日同様に、今日の空は美しく澄み渡っていました。

 震災の日から1日が過ぎた今日、学生を子供に持つ地元スタッフから昨日の様子を聞いている内に、子供が震災発生時のサイレンと黙祷の時に、気分が悪くなり保健室で休んでいた事を知りました。始め、そのスタッフは子供がふざけていたのでは?と思っていたようですが、別の親からも「何人かの子供たちが同じように気分を悪くしたみたい」と聞いたようです。

 震災の影響は大人たちだけではなく、子供たちにも及んでいるのは確実だと思います。むしろ、大人より影響が強い子供も多いのかもしれません。大人は話をする事で表現できる方法や発散する方法を持ち合わせていたり、聴いてもらったりできる機会もあります。ですが、子供たちには大人のようには発散できないかもしれません・・・。今日、訪問先で出会ったあるお母さんが、気分が悪くなった子供たちは、「無理もないのかもしれない・・・子供たちは、あんなちっちゃな心で受け止めようとしたのだから」と話していました。
 大きくないから、「ちっちゃい」とつい思ってしまいがちですが、感性にはちっちゃいも、大きいも、ないのかもしれません。感じてしまう感性は、子供なりに鋭いと思います。子供の感じた想いをしっかりと受け止め切れる大人でありたいものです。

 

 今日の活動は、一日個別訪問の日でした。

 入谷地区の仮設住宅や在宅をスタッフと共に訪問していましたが、仮設住宅の外にあるベンチに腰掛けては日向ぼっこしている姿が目につきました。暖かい日差しの中で、冬の間にちじこもっていた体と共に心もほぐれていけばよいのに・・・と思うほどでした。
 出会った方々からは、昨日の震災2年目が意識にあってか、震災の話がたくさん出てきました。ある女性が「私は、人生の中で3回も津波の被害を受けたよ・・・」と話しながら昭和の津波やチリ津波の時の事が、しっかりと心に刻まれているのが良くわかりました。
 今回の津波の被害を受けた心・魂、大人も子供もそうですが、この状況を思い出へと変えていくためには、どれほどの時間が必要なのでしょう・・・、やっと2年目を迎えて歩みだした今日の一日でした(記:宇根)



2013年3月11日月曜日

震災2年目を迎えて

 震災から2年目、3月11日を迎えました。

 地元スタッフも、それぞれ家族と共に過ごしながらも追悼の時間を過ごせるように今日はお休みでした。それでも、「一日家にいて、テレビから流れる震災関連の番組も見れないし辛くもなる・・それより、HUGハウスにいる方が安心だから」と出てきたスタッフも。

 町は至るところで震災を思い出す一色になっていましたが、自分の心が未だついていけない人にとっては行き場所がない感じがしました。安心して、ゆっくり考えたり、分かち合ったり、一人になったりする場所の必要性を強く感じました。

 今日は、活動は行わず震災の日を思い出しながら、津波で亡くなられた方々を思い出し、そしてこの1年の間に関わりを持ち「命の叫び・痛み」を分かち合って下さった方々の事を考える時間を持つ日にしました。高野山大学の井上先生とハルも合流してくださいました(写真上左)

 午前中にある家族が亡くなった家族を見つけた場所に皆でお祈りに出かけました。井上先生の般若心経とテゼの祈りをもちいて冥福を祈りました。また志津川湾に向かっても祈りを捧げさせてもらいました。この1年間で多くの家族から津波の犠牲になった方の思いを聴かせていただいていましたので、そこに居るような感覚で、その冥福を祈らせてもらいました。

 午後の震災発生時間前からは、HUGハウス田尻畑で祈りと分かち合いの時間を持ちました。 
 どこにも行きたくないと話していた仮設在住のAさんも参加されましたが、「去年よりは、今年の方が辛い・・・この先、どのようにして生きいていけるのか・・・この心の想いを話したくても話せないのも苦しい」と。それでも、「ここHUGハウスで学んだ、まずは自分のケアから始め家族の皆にそれが広がって変わっていけると思う」と、少しづつ歩みが始まっていることを分かち合って下さいました。

 その分かち合いを聴いている内に、どうしようもない絶望の淵にも希望は生まれるし、希望を一緒に探していけるという事実を体験したように感じました。希望は外からではなく、その人の内から生まれる・或いは探せる・・・、この事を、明日からもこの町の方々と一緒に生きていきたいと思いました。


 子供たちの学習の手伝いのボランティアで来ているオークさん(大学生のボランティアチーム)が、昨日よりHUGハウスを利用していました(写真右)。
 これまで何度もこの南三陸町にボランティアで入り活動し総勢180近くの大学生がボランティアで入ってきたそうです。この度、この活動が認められ「東京大学総長賞」が決まったと報告をうけました。地道な活動でも丁寧に一人ひとりの子供たちの学びに寄り添い続けた活動が認められたのでしょう。
 オークの皆様、本当にご苦労様でした。今後の活動にも一緒に歩ませていただけると嬉しいです。







2013年3月8日金曜日

変わってきた住人の姿

 今日のケアカフェ心香は、登米市にある米谷住宅(写真左)で開催しました。

 先月からカフェを月に2回に増やし、住人の方々が自主的に集まりを開催していく姿に変わってきています。
 今日も、集会室に到着すると、すぐに住人のメンバーが部屋の準備に取り掛かっていました(写真右)。また、お茶や食べ物の最仕入れも、自分たちで順番を決めて作ってくるようになっており、今日の差し入れも手の込んだ美味しいものばかり・・。

  HUGハウスで行ってきたケアカフェの中で、当初はお客さんのように参加されていた方々が、まるで人が変わったように自分たちで動いていく姿を見ていると、とても嬉しくなります。
 どの顔も、楽しそうで生き生きしていました。自分たちでなんとかしよう・・・自分たち互いに相談しながらも出来ることをしよう・・・、そういう意気込みが、それぞれを生き生きさせていることに繋がるのだと思います。


 地元スタッフは午前中から別れて、南方方面と公立志津川病院(米山病院)への個別訪問に出かけました。

 世帯の多い南方仮設住宅には、南三陸町内のいろいろな所から入居されています。住人の中でも引きこもりにならなように、いろいろな行事や催し物をしているそうですが、それでもなかなか出てこない方々が多いようです。地元スタッフもいろいろな繋がりで訪ねて回りますが、訪ねた先での新たな出会いも得られるため訪問頻度を重ねていくことで、ニーズがもっとみえてくるのかもしれません。
 ある部屋を訪問した際に、部屋に一歩入った瞬間から苦労話を一気にされる方がおられました。外と部屋内で見せる姿の変わりようにスタッフも驚いていました。それほど、周りの目や噂話への警戒があるでしょうか・・・、本当に大きな課題だと感じます(記:宇根)








2013年3月7日木曜日

喪失から来る怒りに向き合って生きる

「震災の日を体が覚えている感じがする・・・、この頃の臭いや日差しや空気が、あの時のものに近づいてきている感じがして、体が覚えているんだと気付いた」

 こう分かち合ってくれたのは、今日の地元スタッフでした。仮設住宅から出て、朝一番の空気に触れて感じる気持ちだそうです。このスタッフの感じ方を聞いていると、震災の記憶は頭や心だけでなく体にも刻みつけられているんだ、と分かります。記憶や心を癒すだけでなく、反応してくる体をもいたわり休ませて上げる・・そういう工夫も必要なんでしょう。


  大切な家族を突然に失う・・・この悲しみは残された家族に様々な思いを抱かせます。その内の一つが、怒りです。今回の津波によって大切な家族を失った方には、怒りの矛先を家族に向けてしまうこともあります。

 今日は、その怒りを一人受け止めながら生きようとしている女性に出会いました。
 その女性が聞かせてくれましたことによると、津波で流されたお嫁さんの子供、自分からすると孫ですが、その孫から「お前が殺した!」と責められるそうです・・・、あの時には自分は一緒に居なかったのに、と。その女性は、孫が自分に向けて投げつけた言葉を涙ながらに紹介しながらも、こう付け加えました「多分、そういう言葉を口にしたくなるくらいの気持ちなんだろうね・・・、そうなるよね。こうして私が元気だからだろうね、だからそう言わしているさ・・。私のほうが変わってあげたかったくらいだけど、そうもいかないのはよくわかるけどさ・・・」と。

 母親が流されてしまった悲しみと怒りを自分に向ける孫、そのい痛いほどの悲しみと怒りが分かるだけに、何も言わずに受け止める女性。話を聴きながら、怒りをちゃんと受け止める祖母の存在は、孫が悲しの現実を受け止めいつの日か怒りが整理されていく機会の大事な要因になるのだと思いました。何年たとうが、その孫の思いを受け止めつつ生きていこうとする姿は、グリーフワークの大事な要素なんだろうと教えてもらえた感じです。
 どうか、お孫さんの怒りが変化していくまで、この女性がしっかりと受け止め切れる力を持ち続けられますように・・・。「毎日、仏壇に向かって線香をあげているのさ」と教えてもらえたので、私も一緒に、手を合わさせてもらいました。


 今日の活動は、午前午後とも個別訪問でした。地元スタッフは南方・佐沼方面の仮設や自宅再建した方々を訪問してきました。自宅を再建したある方は、住所移動をしたために「何も情報も流れてもなくなり、自分はもう南三陸町民でなくなってしまった・・・、寂しい。やっぱり南三陸町が一番だった・・」 とこぼしていたそうです。家の再建はよかったものの、故郷を離れて傷んでいる心の立て直しには、時間も人の関わりも必要なんだろうと実感します。幸いに、その方の夫が「これからは、一緒に旅行にでも行こう」って誘ってくれているとか・・・。夫婦でこの苦しい時間を支え合えるのは、大きな支えでしょう。

 自宅にあった干支の置物(写真右)のように、長くゆっくりと心を縦なしていける支え合いが続きますように願います(記:宇根)


2013年3月6日水曜日

近づく3.11に揺れながら

震災があった、3月11日が近づいてきている実感を感じています。

 今日の南三陸町内では、テレビの取材やカメラマンの取材の場面に出くわす機会が多かったです。メディアが被災地を取り上げようと、盛んにこの地に入ってきているのでしょう。ある女性は「自分のところにも、来るのさ・・でも、私は嫌だから、隣に逃げるのさ」と話していましたが、被災地を忘れて欲しくない思いは強いものの、過剰な対応が傷を広げることになってはいけないと感じます。

 3月11日が近づいている中で、まだまだあの時のショックに悩まされている方は居ます。今日の訪問でも、未だに志津川の町の中を歩けない方に出会いました。「立ちすくんでしまう・・」ような感覚に襲われると聞きました。どれほど強い心への衝撃を受けたのか・・・、そしてその後もどれだけ苦しい中でも生きてきたのか、想像以上だったのだろうと痛感します。
 強い衝撃を受けても、生きなければいけない、自分の務めを果たさねければいけないという強い信念に支えられて今も踏ん張っている姿に、本当に頭が下がる思いでした。どうか、心の痛みや苦しみが癒やしへの道を歩めますように・・・、明日に向かって何とかしようという意欲が実りますようにと心から願います。

 今日は、志津川地区の荒砥仮設住宅のカフェと個別訪問が活動でした。

 荒砥仮設住宅でのカフェでは、病院に行くのを午後に回してでも参加したかったと言う男性が出迎えてくれました。「わたしは、話をするのが必要・・・」と語るその男性は、年上の先輩たちから話を聴いて引き継いできた大事な先祖の思いが、どんどん忘れていくのが辛いと分かち合ってくださいました。「誰かと話をしながら、忘れないようにしたり思い出したりするのさ・・・でも、もうそれもできなくなるのかも。自分には、その先祖の思いを引き継いでくれる家督がいないからさ・・・」と涙ながらに語る姿には、とても心痛くなりました。薄れる記憶の中だけではなく、心の深いところに、先祖から引き継いだ大事な思いは息づくのではと伝えてきました。そうなると信じつつ・・・。


 個別訪問では、地元スタッフが知っていて気になっている方々を訪ねて訪問しました。

 訪問は、スタッフにとって自分の知っている知人や友人が津波の被害を受けて亡くなっている事実に向き合う時でもあります。知っていた元気な姿を思い浮かべたり、思い出が蘇ったりする事にもなります。それでも、しっかりとその家族の心を受け止め悲しみからの歩みを共に出来るように徐々にスタッフも成長しているように感じます。

 それでも、最近は、本当に深い悲しみを背負った方々と出会う機会が増えています・・・3.11が近いぶん、その時の感情を再度味わっている方々に出会うのが多いからかもしれません。 3.11を迎えるのは、地元スタッフも同じ。自分の被災経験に否応なしに向き合う時間もあるかもしれないだけに、しっかりと自分も大事に出来ているかを意識していきたいものです・(記:宇根)


 





2013年3月5日火曜日

人として尊び、尊ばれる価値

 今日の午前中には、地元スタッフのすみちゃん・るみちゃんと共に最近の思いを共有しながら分かち合いと学びの時間をとりました。
 日頃、活動を通して多くの人の心に触れるだけでに、自分の今の心の中で動いてる思いを確認したり整理したりする事は、活動に出かけるのと同じほど大切な時間です。ましてや、スタッフがこの地で被災して暮らしているだけに、自分たちのメンテナンスに繋がる機会になっていく時間を意識して持つことは、この町の住人への支援の重要な一つだと感じます。

 今日の気づきは、自分が抱えている課題を整理するために、他者との距離感や他者の課題を自分がどう捉えているかに気がつく事・・・でした。この地で生活していて様々な人間関係の中で生きていかないといけない分、多くのことを感じて生きてるのは当然ですが、その関係をどう意識して行けるかでストレスにも力にもなっていける・・そんな気づきを得られた時間だったのではないでしょうか。


 活動は、午前中に志津川地区の住宅への訪問。午後からは、同じく志津川地区と横山地区の仮設住宅への個別訪問を行いました。

 午前中に訪問した志津川中学校の仮設住宅では、偶然に「クリスチャンセンター」の方々が行っている、ハートニットプロジェクトに出会いました(写真右)。この支援は、被災した仮設住宅の住人の方が作った手編みの作品を販売し、製作者にその売上が入るという支援を行っているとの事。早速、今日は次回の作品になるペットボトル作品の確認をされていました。参加されていた方にとって、自分の作品が誰かに喜ばれるという事が大きな心の力と支えになると嬉しそうでした。人は自分の存在や力が何かの誰かの役に立つということによって、どんなにイキイキできるのだろうと改めて考えさせられます。

午後に、出向いた仮設住宅で出会ったKさんは、「この間から今まで働いてきたところが働けなくなってしまった・・・私より若い人を採用したんだろうけど、なんだか私は要らない人のように感じて、寂しい」 とこぼしていました。新しく始まる年度に向けて、採用人員を若い人へと入れ替える時期に来ているからでしょうか、厳しい就労の現状を生きざるを得ない現実だと思います。Kさんは、仕事がなくなり一日、狭い4畳半の部屋でテレビを見ていて「なんだか何もする気がしなくなった」とも。辛い日々だろう・・と胸が痛くなります。
 でも、そのKさんが見せてくれたのが、お孫さんたちからの誕生日に送られてきた色紙(写真左)でした。自分のことを「うみのおばあちゃん」と呼んでくれて祝ってくれたとのこと・・・、流された家の前でその孫が小さい時に写した写真(写真右)も一緒に見せてくれました。

 「今の私の、大きな力と支えになっているのは、この孫たちだよ」と語っていたKさんにとって、仕事をしていなくても尊いと思われる孫が居て、仕事をしていなくても自分を大事にしてくれる関係が本当に嬉しいんでしょうね・・・。Kさん、働くという価値以外の尊い価値を実感しているんだろうなと感じます、このような小さなそれでも人としての本質に近い喜びが多くなるといいなーと感じます。(記:宇根)

2013年3月4日月曜日

出会いの不思議さを感じる心

出会いは不思議なものです。
 
 今日、個別訪問に出かけた地元スタッフは、仮設住宅で出会った男性と話している内に、その男性が父親の命の恩人だった事を知りました。漁に出て海の落ちた父親を助けた人だったのです。男性は、名乗らなくてもいいからと言いつつ、小さい頃に合っていた子供(地元スタッフ)が成長し、偶然に合えた事に喜ばれていたようです。出会いがあった地元スタッフは、「こういう嬉しい出会いがあるなんて・・」と不思議がっていました。
 時として、出会いは私たちの人知を超えた不思議さを感じさせます。それを偶然と片付けてしまわずに、「不思議」と感じる心を持てるほどの豊かさは、痛む命に寄り添う人には欠かせないものかもしれません・・・そのような豊かな心に、人間の限界を超えたところに頼れる力が生まれるように思うからです。


「私は、チリ津波の時には、父親から『とにかく津波が来たら逃げろ』って教わっていた・・・でもね、私は私の娘には、同じようには教えていなかったの・・・娘は流されてしまって。それが後悔として、私には残っているの・・・。でもね、娘は優しい子だったから、婿さんの両親がいたから、一緒に何か片付けでもやっていたんだろうなぁー、逃げなかったんだろうなって思う。」今日、このように話してくださったMさんは娘家族と嫁ぎ先の両親の5人を津波で流されていました。今も仏壇に飾っている遺影の写真を見るたびに泣いています。

 Mさんからは、自分が娘さんにしてあげることがあったのに、それが出来なかった事を後悔しているという表現が何度も出てきてました。逃げるんだよ!と教えてあげれなかった・・・他にも、あれもしてあげれたのに、これもしてあげれたのに・・・と自分を責めるような表現が出てきていました。娘さんが流されてしまったのは、決してMさんの責任ではないとは分かりはするものの、別れの悲しみが自分を責めてしまう程に深く重いのだと感じます。娘さんの死に理由を付けきれないと、その死さえ受け止めきれない・・・そんな心の動きにもなっているのでしょうか。
 今、2年目を迎えようとしている中で、一人ひとりの心の様相が違ってきています。今もまだ震災の傷が癒えずに生きている方々がいる事を多くの方々が忘れずに知っていて欲しいです。大切な家族と別れる・・・この悲しみが癒えていくための時間は長いものです。

今日の活動は、住宅が残った地域でのカフェと個別訪問。午後からは仮設住宅への訪問活動を行いました。(記:宇根)