2013年11月13日水曜日

積み上げていくもの、手放していくもの


冷たく澄んだ空気の中で
 急に冬の寒さが訪れ、浜の風が冷たく感じます。

志津川地区仮設のカフェ開催でスタッフは声かけにまわってみます。結局ご夫婦一組の参加。さながら個人宅訪問のような時間となりました。寂しい気もしますが、こんな日があってもよいのです。大勢の中では話されることがなかった思いが語られました。

二つだけのカップ
かつて研究に研究を重ねて改良し編み出した漁の仕方は、カフェ開催二年経って初めて語られたこと。Eさんにとって生きてきた証しであり、誇りです。今となっては当たり前になっている様々な技術は、Eさんのように工夫を凝らして積み上げられた努力のおかげということを思い出させてくれます。

一方で、積み上げられたものは継がれることなく、流された家の再建はまだ遠く、ただただ感じる体の衰えという現実が身にしみます。同級生の死が重なり、いよいよ自分の番かという思いがよぎります。逝ってもいいかという思いと残されたこの世での仕事の狭間で、揺れる心。沈黙が続きます。

しばらくして両親を介護してくれた妻へのねぎらいの言葉が出てきます。それから…

「じいちゃんは、良い死に方をした。」

みんなに囲まれて亡くなっていかれた父親を思い出します。

死に際に親戚、家族みんなが囲んで「まぶる」(=看取る)のは、Eさんにとって理想的な死。沈黙の中で遠くに目をやり思いをはせるEさん。共に沈黙で受け止めるスタッフ。

ご自分の思いを受け止められる時間。ケアカフェならではの大切な時間です。

 


仮設を巡回する「売り方」
 午後には、スタッフ3人がそれぞれ個別訪問に出かけました。

お茶会でいつも元気におどけて見せても、家の中では介護と人間関係の軋轢で体調がすぐれない方、人とのつながりや絆で支えられている方、認知症の方で訪問するスタッフに気遣う方、人との交流を避けながら住宅再建までじっと耐えて生きられる方、様々な出会いがありました。

 生きるために積み上げられたもの、手放したもの、手放さざるを得なくなったもの、死のために手放さなければならないもの、消えることのない積み上げられた人の存在の深み。
今日はそのような気付きをいただいた出会いでした。(記:林)
 
 
 
 

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