深い霧で覆われていた歌津地区。
お茶会が始まる前に出会いがありました。 |
霧の晴れ間を縫いながら、今日も車を走らせました。
仮設住民が自主的に行っているお茶会に混ぜていただき、お話を伺いました。
聞こえてくる訴えは、感じてしまう様々な格差に対する思いです。
同じ仮設に住む者同士でも、いただけるものがあったり、なかったり、
様々な個人の事情や能力、体調、人間関係などによって、受けられる支援があったり、なかったり、よその仮設との様々な支援の違い(例えばお茶会が「ある・ない」)を知ってしまったり…
ボランティア他団体の集まりで、 能力を生かして楽しまれる方々。 |
目に見える様々な違いは、「サービスの格差」と見てしまい、「不平等」という気持ちになり、ひいてはそれぞれの「いのちの重み」が不平等に扱われたかのような感覚に襲われるのかもしれません。
平等にいただいたもの、それは、一人一つの「いのち」だけかもしれません。
生後一週間の新しい「いのち」を 見せていただき、愛でることができました。 |
不平等を何十年と生き抜いて来られても、慣れるものではありません。今また新たにやってきた「不平等」が心に挑戦してきます。しかしお話をうかがっていると、いただいた「いのち」の生かし方にもたくさんの違いがあることに気付きます。格差や不平等に見える現実を受けて生きていらっしゃるその姿は、返って「いのちの重み」を増しているようにも見えます。
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