
かつて、娘さんが震災の津波で流されてしまったSさんに出会いました。Sさんは、流された娘さんが未だ見つからない中、「もし、このまま見つからなければ、龍宮城で龍神様になって、この町と私たちを見守って欲しいものさ」と話してくださったSさん。このSさんは、よくこの海辺に来ては手を合わせていたそうです。そのSさんも、2ヶ月前に娘さんの元へと旅立って行きました。今日は、Sさんが手を合わせていた海辺で、海に向かって手を合わさせてもらいました。Sさんの冥福・娘さんの冥福を合せつつ、龍神様になって守ってほしいと願いを捧げてきました。

自分の力を超えた状況になった時、自分ではどうしようもなくなった状況になった時に、「もう諦めた」とよく口にします。この諦めも、とても大切な心の動きなのかもしれません。自分ひとりで頑張ろうとしていた手をあげてしまい手放す・・・そういう作業なのかも。そして、手放した後に訪れるものには何か自分だけでは見つけきれなかった事柄・モノに遭遇する可能性が巡ってくるのかもしれません。

震災が運命なら、諦めるという受け止め方をした次に良きことも運命が運んでくる・・・思える心も生まれるのかも、と感じました。
今日の地元スタッフは、戸倉地区の仮設住宅を個別訪問しました。
ある仮設住宅では、手芸のグループを訪問。なかなか訪問できず久しぶりの訪問にスタッフも緊張していたようですが、グループの方々が迎え入れてくれる心に緊張もほぐれ良き出会いを作れたようです。
思い描き良き出会いを希望するがゆえに、逆にぎくしゃくしていしまいがち。偏見や思い込みを脱ぎ捨て新鮮に出会えるようにするためにも、期待を手放す必要性を感じるのも、いい学びになるのかもしれません。(記:宇根)
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